「拡散希望」地震に負けるな熊本!日本人が大切にする「和の心(wa no kokoro)」
今回は、桜特集の途中ですがすでに記事にもある通り、日本では桜は縁起の良い物ですので、控えさせていただきます。
代わりに日本人の「和を持って尊しとなす」という記事をご紹介いたします。
「和を以って貴しとなす(wa wo motte toutosi to nasu)」これは聖徳大使という人が言ったといわれる日本では有名な言葉です。
簡単に意味を説明すると(人々がお互いに仲良く、調和していくことが最も大事なことであるという教え)ですね。
例えば、こんな風に使います「あなたの言い分もわかるが、相手の言い分にも聞き耳を立ててみてはどうか。お互いに認め合う気持ちを持ち、正しいところは正しい、間違いは間違いだと素直に認められるような議論をするべきだ。和を以て貴しとなすだよ」
さて、「和の心」は、私たち日本人の生活の中に自然と存在し、その言葉を定義づけることは難しいです。しかし、敢えて定義づけると、「和の心」とは、「個人を重視するのではなく、集団における秩序や調和、また礼儀を重んじること」ということになります。
確かに私たちは、世界的に見て、過剰なまでに「集団主義」を貫いているといえるでしょう。また、集団の中で相手の意思を読み取り、波長を合わせて行動をし、決して争わずに調和を保っています。
この「調和」は、「平和」にも通ずる部分であり、2011年に起きた東日本大震災で世界各国が絶賛した点です。私たちは、互いを信頼し、集団行動でのルールを守ることができ、決して他人に迷惑をかけないのです。
この国民性は一方で、現代社会では「個々の個性を潰す」「自己表現が下手」と、国内外でバッシングされる対象になっています。
確かに第二次大戦後、西洋思想や文化が大量に輸入され、それらに無意識に影響を受け、日本らしさと西洋思想の狭間で、日本人らしい「和の心」は姿を変えつつあります。それでも、第二次大戦直後の日本は、この「和の心」や「和の精神」で互いに手を取り合って、めまぐるしい発展を遂げたのです。
これから先、西洋式個人主義と日本式集団主義は緩やかに融合していくものと思われますが、それでも「和の心」は、世界の中で、日本人の美徳として受け入れられていくことでしょう。
さて、いかがでしたか?筆者はあまり争いを好まない性格をしています。それはこの「和の心」を重んじている!、、訳ではありません。性格の問題です。笑
しかし争うことで権利や主義を主張したり、物事を進めていくっという考えは好きではありません。世界中の全員が平和について考えたら戦争は無くなるのにな~っという歌を歌った方がいましたが、出来れば仲良く手と手を取り合って物事を進めていく考えが多くの世界に受け入れられたらいいな~っと思います。
「和を以って貴しとなす(wa wo motte toutosi to nasu)」ですね♪
和を持って尊しとなす。熊本のみなさん。助け合いましょう!